あれは今からほんの数年前
わたしがまだ未成年だったころの話
小さい頃から動物が好きだ
赤ん坊の頃に母におんぶされて東山動物公園で撮った写真がある
ちょっと大きくなった頃、突然野生動物がこの目で見たくなった
そうだケニア行こう友達を誘ってみるも「え~ハワイがいい~」とか「ケニア・・・?」
って言うような奴しかいなかったので
仕方なくツアーに一人参加することになった
ツアー名はなんだったかな?「ケニア・サファリ10日間の旅」だったかな
わたしは二十歳になる年の夏にケニアに行った
初めて手にするパスポート
パスポートをもらった同じ場所でコレラと黄熱病の予防注射を打ってもらい
出発するときには成田空港でマラリアの予防薬を2週間分もらった
そうそう、わたしがツアーに一人参加だったため母が心配し、
成田まで送ってくれた上同じツアー客に「うちの子をよろしくお願いします」と挨拶した(過保護)
成田発ヨハネスブルグ行きのブリティッシュ・エアウェイズに乗ったけど
初海外旅行で初国際線でまわりの人が次々と毛布をもらってるのに
わたしはどうしたらいいのかもわからず
ひたすら毛布をかけるジェスチャーをしながら「これ。これおねがします」って言ったら
ちゃんと持ってきてくれた
(添乗員さんはいないツアーで現地にいったら現地の人が案内します形式)
成田を出てから香港・コロンボに寄りセイシェルで私達は一旦飛行機を降りた
ここで乗り換え
セイシェルはインド洋に浮かぶ島でとても海がきれいだった(泳いだよ!)
わたしたちはここで乗り換えのためほぼ1日過ごしたのでボタニカルガーデンとか観光もできた
セイシェルはよかった!!
もうこのままずっとセイシェルにいてもイイと思った
(野生動物が見たいのはどこへやら)
でもツアーなのでわたしたちはケニア航空に乗り換えて一路ナイロビへ
ケニアはなんでも頭に「ケニヤッタ」というのが付くので空港は「ケニヤッタ空港」
泊まったのはナイロビヒルトンホテル
ツアー中食事は基本いつもビュッフェスタイルで何も不自由はなかった
さて翌日からいよいよナイロビを出て野生動物たちがいる国立公園へ
現地での案内人はケニア人の男性3名
ピーター・オルワと
ヴィンセント・シモリと運転手の
ムサシヤ・キドゥンドゥピーターは日本に住んでいたこともあるので日本語がとても流暢
(わたしたちは毎日
ピーターの「
ピーターはここにおるわ」というギャグをきかされることになった)
ヴィンセントもそれなり
ムサシヤは日本語ワカラナイ
さてピーターがまず案内してくれたのは
大地溝帯
とはなんぞや?
とにかく地面がすごく割れてた
断層かな・・・?
(全然ホンモノとは違います)
大地溝帯見てから行ったのはナイバシャ湖
フラミンゴがいっぱいいるんだ~
一面ピンク(語彙力
そこからわたしたちはマサイマラやアンボセリの動物保護区を宿泊しながら数日かけてゆっくりまわった
ケニアとタンザニアの国境にそびえ立つのはキリマンジャロ
行った時は知らなかったけど帰ってきてから調べたら標高が5,895メートル!
富士山よりもっとすごい高い!
それからはずっと早朝サファリとか夕方サファリとかで毎日美しい野生動物をたくさん見ることが出来た
ライオン
シマウマ
キリン
インパラ
ヌー
カバ
ゾウ
チーター
などなど
ヌーの大移動も見れた
川で大量死していた(たぶんわたしも上手く渡れず死ぬグループ)
あとハネムーンライオンも見た
普段ライオンは雄一頭に複数の雌が群れとなっているんだけど
ハネムーンライオンは雄と雌が一頭ずつでいわゆるハネムーン中
運転手のムサシヤがなんとか二頭がくっつかないかと期待してしばらく様子を伺っていたが
結局何事もなかった
毎日長時間車に乗ってあっちこっち行って本当に楽しくてあっという間で
いろんなことがあって楽しかった(ほんと語彙力・・・
○夜になると 宿泊先のロッジとかホテルのラウンジのツアー客を集めて
ピーターと
ヴィンセントがボンゴを叩きながら歌を歌ってわたしたちを楽しませてくれた
例えばコレ
https://youtu.be/vUrVeRGo5IM○満天の星と地平線を見たすごかった
○目がイイ 運転手の
ムサシヤがサファリ中に片言の日本語で「あそこ!キリン!」と言うけどなーんも見えない
双眼鏡でよくよく見てみると点のようなキリン
むこうの人達は目が非常にイイw
○観光マサイ マサイ族という部族がいるのだけど写真撮られると魂を抜かれるとかで嫌がる
でも観光マサイというのがいてお金出すと写真撮り放題になる
しかもお家の中へどうぞと招かれて牛の糞で作られたお家の中へ入ると真っ暗
中から「じゃんぼ~(こんにちは)」という男性の声
お父さんは具合が悪かったそうで・・・失礼しました
○語学に堪能 ケニアはその昔イギリスの植民地だったのでだいたいみんなスワヒリ語と英語と自分の出身部族の言葉が話せる
○夏だったけどさほど暑くない ケニアは首都のナイロビが標高1,800メートルぐらいのところにあるので比較的空気は爽やかで朝晩は長袖がないと寒いぐらい
でも海のほうだとそうでもないらしい
○サファリ観光客は外国人ばかり わたしたちと同じくサファリを楽しんでいた観光客は白人が多かった
実際ケニアではライオンを見たことが無い人達も多いのだとか
○内情もチラっと 一通りサファリを終えてナイロビに帰ってきてから
ヴィンセントのお姉さんが働くという病院
「ケニヤッタ病院」へ連れて行ってもらった
多分国立の病院だろうに窓ガラスは割れ床には吐瀉物がそのまま放置されていた
ムサシヤが運転していた車もメーター等は壊れてた「走ればイイ」状態?
10日間サファリを楽しんで日本に帰るときは泣いた
帰りたくなかった
ずっとケニヤにいたかった
でもそれはわたしが観光客だったから
住むのは大変なことなのだろう
むこうで買った地図
1つだけ残念なことが・・・
ケニアでは国立公園動物保護区の中は道が舗装されていないので
路面の状態はすごく悪くて車が激しく揺れて天井に頭を打ちそうだった
そんな中車酔いが心配で(なにしろ途中で道の駅とか無いし)ずっと酔い止めのお薬を飲んでいたので
常に頭はぼーーーとしてた
また何か思い出したら書きます