最後に書いた日記がおよそ二ヶ月前で、まだ新生終盤だったのですが、ついに漆黒にたどり着きました。
数日前にやったツクヨミ戦がいまだに心に残っているので、つれづれなるままに書いていこうかと。
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ヨツユの死があまりにもショッキングで、その日はそのままログアウトしてしまいました。いろいろな思いはありますが、ヒエンの言っていたようにゴウセツと一緒に、静かに暮らしてほしかった。
記憶と死
個人的には、記憶を失うってことは、ほとんど死と同じことだと思っています。
人が生きていく上で記憶というのは、生命維持とか物理的なものを除いて、最も重要な要素の一つだと思うんです。
例えば、今持ってるスマホの中身が全部消えたとしたら、そのスマホは物としての価値は残りますが、中身が消える前に持っていたスマホとは実質的に別物だと思うのです。「私のスマホ」としての死です。入れていた写真も音楽もメモも無くなれば、新品のスマホと何も変わりません。
デカルトは、「自分が考えている」という事実から自分の存在が証明されるということで「我思う故に我あり」と言いました。記憶を失ったらどうでしょうか。記憶を失った人は存在しますが、記憶を失う前に存在していた人物は考えることができないので、もう存在しません。
つまりヨツユが記憶を失い、ツユとなった時点でヨツユは死んだも同然だと思うのです。なので、そのままツユとして新しい人生を歩んでほしかった。まあ、記憶は戻り、ヨツユは蘇るうえ、普通に生きていくにはあまりにも業が深いのですが。
最後の言葉
そしてやっぱり最後のセリフ。
聞いた瞬間に涙腺崩壊しました。まあその前から、ツクヨミ戦でゴウセツの幻影が出てきてから泣きながら戦っていましたが。
この人の人生はあまりにも不幸すぎた。もっと早くゴウセツに出会えていればもっと幸せな人生になれたかもしれない。ゴウセツでなくとも、誰かいい人に出会えていれば、ほんの少しの優しさを感じていれば、彼女の人生、ドマの運命さえも変わったかもしれない。
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貧乏を毛嫌いしているところから始まり、貧乏の象徴とも言える柿で終わるのがなんとも物悲しいですね。
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