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不幸を受け入れるとしあわせになる不思議

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いつもありがとうございます、蒼井です。
いよいよ年があけて、2023年になりましたね。チーム活動を開始してから二か月が経過しました。

復帰してから初めての大晦日でしたが、思っていたよりもエオルゼアには人がおらず、多くの皆さんが里帰りなどでFF14を離れているんだなあということがわかりました。

年越しは、チームメイトのなおさん、ともくんと私の三人で。なおさんは途中でイベントのためにパーティを離れましたが、ともくんと私でRWのためのダンスカーを回っているうちに、気づけば年が明けていました。

活動を開始してここまで、基本的にはチームメイト全員でいつも一緒に遊んでいたので、この三人でゆっくりゲームをする機会はありませんでした。普段することのできない込み入ったお話を、いろいろとすることができてよかったなあと思っています。



ともくんは、チーム最年少の二十代。私とはひとまわり以上も年が離れています。

そんなともくんが、「たまに、幸せというのがよくわからなくなることがあるんです……。」と言っていました。
(若くて粗削りでも、物事を冷静に、客観に俯瞰して考えようとしている証拠だなあと、嬉しくなりました。)

こういう話題、とくに「しあわせ」とか「幸福」について感じることは、年代や世代によっても大きく変わることなのですが、私なりの持論を伝えることができたと思っています。

それは、「誰かが決めたしあわせに従う必要はないし、誰かの決めた不幸に怯える必要もない」ということです。

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幸せというものには形がありません。

仮に、周囲の誰しもが、自身のことを「あなたは幸せね、恵まれているわ」と評価していたとしても、本人が自分の置かれている立場や状況を不幸だと思っていれば、それは不幸なわけです。

反対に、周囲の誰しもが、「あなたはお金もないし、家も車もないし、結婚もしていない。不幸ね」と評価していたとしても、本人がその状況に心底満足して、生活を楽しんでいるのなら、それは「しあわせ」なわけです。

幸福とか、不幸なんて、しょせんはそんなものです。周りと比較する必要はないし、自分が今の状況を心から幸せだと思っていれば、それでいいのです。

でも、世の中の多くの人は、自分と他人を比較して、「私にはあの人よりもあれが足りない、お隣さんよりもこれが不足している」と、常になにかしらの不幸を自分で望んでつくり出しているようにも感じます。

その原因のひとつは、日常的に、私たちの目に触れる場所に、多くの「否定的幸福」があふれているからだと、私は考えています。

たとえば、

「あなたは結婚して子どもを産んで、家庭さえ持てばしあわせになれますよ」とか、
「あなたはマイホームさえ購入すればしあわせになれますよ」とか、
「あなたは良い大学に進学して、良い企業に就職・転職して、いまよりもお金を持てばしあわせになれますよ」とか、
「あなたは、この便利な商品・高級な代物を買えば、もっとしあわせになれますよ」とか、
「あなたは恋人さえできれば、しあわせになりますよ」とか。


世の中には、そういうメッセージが溢れています。

これって、裏を返すと、

「これが無い今のあなたは不幸なのです」という、現時点でのあなたを否定する、破壊的メッセージとも言えますね。(専門的な表現では、「否定的幸福」といいます。)

先にも書きました。

「しあわせ」というのは、本人がそれで良ければ、それでじゅうぶんにしあわせなのです。

にもかかわらず、再現性のない無根拠な破壊的メッセージばかりを毎日浴びせかけられて生活をしている多くの人は、ついつい、今の自分が持っているはずの幸福を忘れてしまって、

「あの人よりも、もっと良い収入を手に入れなければ……」
「あの人よりも、もっと高級な品を身に着けないと……」
「あの人よりも、もっと見た目が良くて、収入の高い恋人や配偶者を見つけなければ……」
「あいつよりも、もっと高い学歴を得なければ……」


と、他人との不要な競争に取り込まれてしまって、今ある幸せを手放してしまうように見受けられることもあります。
(それらが、自分の幸福にとっては欠かすことができない、本当に必要なものだと思う人は遠慮なく得ればいいと思います。でも、それらが無いことが、追い求めないことは絶対的な悪であり、得ていない人・持っていない人は必ず全員が不幸であるという一方的な決めつけは、誤謬ですよね。)


ともくんや私のように、「年越しなんて、ただ日が変わるだけですよ」とあっけらかんと言いながら、いつも通りFF14をプレイして年を越す。RW取得に、また一歩近づく。

これって、不幸なことでしょうか。
いいえ、少なくとも、ともくんも私も、まったく不幸は感じていません。むしろ、いつものように健康な状態で、気の合う仲間と一緒にゲームができるだけで、十分に幸せで楽しいことなんです。

もちろん、そういう私たちの姿を見て、

「お前たちは年末の大晦日にゲームなんかやって。くだらない、つまらない人生だな。ほんと、お前たちのような人間は不幸だよ」と評価する人もいるでしょう。でも、そういった他人の価値観から発生する評価は、ともくんや私の幸福に、なんら影響を与えません。そう思う人もいる、というだけのことであって、それ以上でもそれ以下でもないのです。

幸せは、他人と自分を比較して、他人が持っていて自分が持っていないものを得ようと努力することでは得られないというのが、私個人の考え方です。どんなジャンルにも、必ず際限がなく、上には上がいるものです。そんな状況で、自分に足りないものを必死に得ようとする行為は、むしろ、「まだ足りない」「もっと努力しないと」と、いつまでも終わりのない永遠の駆け足をするのと同じようなもので、それは、自分を不幸に追い込むことになります。
だから、「自分には、あの人と比べてあれが足りない。でも、それで十分幸せなんだ」と、受け入れることこそが、幸福への近道だと、私は考えています。
(私は、成功が必ずしも良いこととは思っていません。成功して、名声や名誉、大きなお金を得たことで、なぜか地獄に落ちてしまった人たちを何人も知っています。)


そもそも、

「正月は実家でみんなで集まって……」とか、
「クリスマスには高級ホテルでディナー! チキンにケーキ」とか、
「お誕生日にはプレゼントを……」とか、
「バレンタインデーにはチョコレート!」

そういった世間一般では常識や当たり前の風習や風潮として受け入れられていることも、私は、常に疑っていかなければいけないという立場に立っています。
(与えられる情報を常に疑いの目でみて、仮説としていったん保留にするというのは、科学的思考・論理的思考の基礎です。)

いちおう、誤解のないように書いておきますと、お正月に実家へ帰ることや、クリスマスに自宅の外でディナーを楽しむことが悪いと言いたいわけではありません。誕生日を祝うことも、素晴らしいことです。家族が集まって食事をするのも、とても大切なことです。それをしたい人はすればいいと思います。私にそれらを否定する権利はありませし、否定する気もありません。私も、若い頃は、そういうことで楽しんだ経験がたくさんあります。
(重要なのは、それらをその日に必ず行わなければいけないのか? ということを、複数の視点から思考する柔軟性です。)

ただ、私個人は、人から与えらえた無根拠な情報によって、自分の行動を制限されたり、自分の思考を意図的にコントロールされてしまうのが怖いなあと感じる立場です。

クリスマスにケーキを食べるくらいなら別にいいです。私も食べることはあります。
誕生日にプレゼントをもらったこともありますし、送ったこともあります。
(今回も、チームメイトのみんなとプレゼント交換をしたりして、クリスマスを楽しみました。どんな無根拠な風潮や風習でも、情緒の交換レベルで、協調性をもってみんなと一緒に楽しむことはとても大切です。)

でも、「●●だから●●しないといけない」という風潮に、常日頃から従ってばかりいると、本当に自分にとって大事な選択を迫られたときに、

「本当にそれってする必要があるの?」
「それがないと本当に不幸なの?」
「いえいえ、私はそうはしませんよ」といった、

誰の言うことも信じず、決めつけず、自分の頭で思考して、判断して、選択して、行動するという、人として一番大事な能力を奪われてしまうようにも思うのです。

その能力を奪われてしまうと、最終的な行きつく先が、世の中にあふれる「否定的幸福」を受け入れた末の不幸なのではないか、と思っています。


ゲームのなかでも、

「オレはあいつらよりもレイド攻略に時間がかかってしまった」とか、
「オレはあいつらよりも色が悪い」とか、

他人と比較して、落ち込んで、自ら不幸になってしまっている人もいるようです。

でも、うちのチームは、周りと比較せず、みんなで楽しくプレイできてクリアできればそれで十分楽しいし、幸せだよね、を追求するレイドチームですから、共有のためにテキストをエントリしておきました。

※以下は、今回のエントリをする際に参考にさせていただいたサイトからの抜粋です。詳細は、リンク先をご覧ください。

自己喪失しているからやることなすことを人に見せるのである。人に見せて、誉めてもらってはじめてそれをした意味がある。自分のしたことで幸せを感じることが出来ない。
自分の今の苦しみの原因を突き詰めていけば、自分は、「本当の自分」に気がついていないということに気がつく。
 本当の自分が分かれば、自分が本来いる場所もわかる。自分が本来いる場所にいれば、「毒による恍惚状態」から解放される。
そして自分の幸せを感じる。
 さらに自分の居る場所に気がつけば、自分の可能性を実現する道も見えてくる。人とコミュニケーションできる。
自分が本来いる場所にいないで苦しんでいる人は、自分の包装紙に気を奪われていて、自分の内容に気がついていない。
「大きなことを成し遂げるための力」「幸せになろうとする富」、それらは皆包装紙でしかない。
包装紙に気を奪われて「毒による恍惚状態」に陥った人は、「今この瞬間を生きる能力を失っている。」



そういえば、この年末、なおさんとは、「カネで真の幸福は得られない」というお話をしたような記憶があります。

本当の幸せは、なにかを必死に追いかけ得ることではなくて、今の本当の自分のことに気がつくことでしか得られないように思います。でも、これがなかなか大変で、難しいんですよねえ。




……というわけで

レイドチーム『ONE FOR SEVEN』はメンバー募集中です


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