7-4
目を開ける。
夕暮れ時の、自宅――だと思わされていた場所――の庭。オレンジ色に染まった世界。けれど、リリの直感が告げた。
『これは、違う』と。
一度目を閉じ、自身の中の力を感じながら、目を開ける。
そこには、白い光の降り注ぐ世界があった。
空を覆う、無尽の光。
ここへ来る時に見たこの空が、理想郷の真実なのだろう。
おそらく、この世界はずっとこのままだ。昼も夜もなく、ただ淡々と光の降り注ぐ世界。
「……」
無言で、リリは待った。
やがて。
木々の間の小道を抜けて、バティストが帰ってきた。
「リリ!」
手を振り、近付いてくるひと。
その笑顔を見て、気が付いた。
ああ、そうか。これは、『バティストの夢』なんだ。
やっとわかった。バティストが自分へ寄せる好意が、幼馴染への友愛の情ではなく、恋愛感情としてのそれであったと。
それを踏まえて振り返れば、思い当たる節は多々ある。リリは己の鈍感さを悔いた。もし知っていたとしても、どうにもできないのは分かっている。それを知って、自分のメイナードへの愛情が揺るぐことはない。でも。
「おかえりなさい」
微笑みと共に労う。けれど、近付いてきたバティストの抱擁しようとする腕を、リリは制した。
「どうした?」
バティストが怪訝そうに尋ねる。その顔を見つめる。その瞳を見つめる。
『超える力』を、自覚する。柔らかな光が、リリとバティストの間で瞬いて消える。
「聞いて、バティスト兄さん」
「なんだ、久しぶりにその呼び方を聞いたな」
くすりと笑うバティスト。
「この世界は、本当の世界ではありません。バティスト・バズレール、本当のあなたは、アムダプールの兵士じゃなく、グリダニアの鬼哭隊、伍番槍副隊長」
ぽかん、と口を開けたバティストの顔が、次の瞬間強張る。だが、バティストは激しく首を振ってそれを否定した。
「嘘だ。グリダニア? なんだそれは! 俺は……世界の平和を……それから……!」
バティストが、片手で頭を押さえたままこちらを見た。すがるような目だ。
やっぱり、そこが邪魔をするのか。唇を噛んだリリは、敢えて突き放すように告げた。
「蛮神ソムヌスの力で、わたしたちは認識を書き換えられて、望む世界を見るようになっているんです。――あなたが、わたしと結ばれることを望んだように」
目が見開かれた。膝から崩れ落ちる。
「……リリ……」
震える声が、絞り出すように口から漏れた。
「はい」
「……俺は、夫として……失格だったろうか」
「いいえ。とても素敵な旦那様でした」
「俺といて……幸せ……だったか」
「……はい」
「じゃあ! それでよくないか!? ……もう、このままでいいんじゃないか!?」
血を吐くような叫び。
「たとえこの世界が嘘だったとしても、俺はお前が――リリが欲しいんだ!」
立ち上がり縋ろうとするバティストを、リリはまっすぐに見た。真剣に、真摯に、彼の顔を、彼の瞳を見つめた。
「……!」
強引に抱きしめようとした手が、止まる。それで、その行為で、彼女の心は手に入らないと知ったから。
「……ごめんなさい。わたしには愛する人がいます。だから貴方を選ぶことはできないし、この偽りの世界で生きていくこともできない」
強い光が、リリの胸から二人を包むほどに大きく放たれた。
「――」
バティストは再度両膝をつき、がっくりとうなだれた。
「……兄さん」
バティストは無言だ。ただ、嗚咽を必死に我慢しているように見える。この状態の男へ掛ける言葉を、リリは知らなかった。
「……わたしはラヤ・オ先生……ラヤ・オ様やサイラスさんを覚醒させに行きます。落ち着いたら、来てくださいね」
できる限り優しく言った。
それが、彼をさらに苦しめることになるかもしれないと思いつつ、他の言い方は思いつかない。
「…………」
微かに、その首が縦に動いた気がする。唇を噛んで、リリは走り出した。
やがて。
彼女の足音が遠ざかるなか。
バティストは泣いた。喉が裂けるほどの慟哭で、男は泣き続けた。
7-5
号泣するバティストの真正面に、アステラは立った。
何があったかは分かっている。
リリだ。
あの女が、またもアステラの術を破ったのだ。しかも、蛮神ソムヌスの力を受けた状態で、だ。
もはやプライドなど砕け散った。諦めて拗ねることさえ許されない。怒りと嫉妬で、何百人でも惨殺できそうだった。
狂気のまなざしをバティストへ向ける。左目の『聖隷眼』が輝く。
「ねえ、バティスト・バズレール」
膝をついて、その顔を強引に上向かせる。ぐしゃぐしゃの泣き顔へ、蔑みと憐れみを同居させた顔を向けた。
「幸せだったよね? 片思いの相手を伴侶にできて。愛を囁いて、体も重ねた」
『聖隷眼』が、バティストの精神を強制的に“そちら”へ向けさせる。リリの力が、術にかかっていた時の記憶を奪うものでないことは行幸だった。イメージを強く送り込む。愛し合う二人の場面を、いくつもバティストのなかへ送り込む。それが実際にあったことかなど、どうでもよかった。激しい情交のシーンを捏造さえして、アステラはバティストの欲望と慕情を刺激した。
「で?」
顔を近付ける。
「――もう、終わりでいいわけ?」
びくり、とバティストが震えた。
いける。アステラは確信した。このまま感情を肥大させて、爆発的に狂わせてやる。その代償として被術者は精神を崩壊させるだろうが、そんなことはアステラの知ったことではない。
このまま堕とし、同時に光属性崩壊をさせて、咎人とするのもいい。
「もう、諦めちゃうの? この幸せな日々を。やっと手に入れた安息を」
『聖隷眼』が輝きを増す。アステラ自身も危ういほどの強度だったが、もうどうでもいい。
「できないよねえ。そんなこと!」
一際白い光が放たれた。
バティストの精神へと潜ったアステラは、彼の衝動や欲望を起爆させるため、さらに奥へ踏み入――ろうとして、堅固な扉に行き当たった。
精神内に強い禁忌の領域がある。
強烈なトラウマ、それに類する負の衝動がそこにあると察した。アステラは扉に手をかける。『聖隷眼』の使い手である彼女は、精神内において暴君に等しい。強引に、術後の精神の傷など気にも留めず、力任せに開けようとする。
だが。
彼女は知らなかった。
暴君は、悪神に劣る。
扉が開かれた。アステラの成果ではない。扉が勝手に開いたのだ。
そして。
眼前に立つ、黒衣の神を見た。
黒いマント。黒い鎧。黒い兜。その奥で光る、赤い目。
それが悪神オーディンである、とアステラが認識する前に。
手にした刀が、彼女の左目に突き立てられた。
「ギャアアアッ!」
絶叫し、現実のアステラがのけぞり倒れた。一瞬遅れて左目から噴き出した血が、彼女の顔も髪も服も汚した。
「アステラ様!」
潜んでいたマノスが全速で駆けつけた。アステラを抱えると、ゆらりと立ち上がりつつあるバティストには目もくれずその場を離れた。
それに関心を払わず、バティストはゆっくりと歩きだした。その顔には、黒い仮面が出現している。闘神オーディンを模した、いや、闘神オーディンの一部が表出した状態を示す、禍々しい仮面。
「……ウルズよ……」
バティストの口から、オーディンの声がした。
黒衣森をさまようオーディンは、「ウルズよ、いずこに」「ウルズよ、そなたの元に」とつぶやき、伝説の聖女ウルズを求めるようだったという。
今、バティストの内側に巣食うオーディンは、彼と混濁したまま覚醒している。
オーディンがウルズを求めるように。
バティストもリリを求める。
「ウルズよ……そなたを、そなたを誰にも渡さぬ……!」
7-6
眼下には、巨大な地下水槽があった。
都市一つが丸ごと収まりそうな、広大な空洞。そこに青緑の液体が満ちている。
その、液体の中に。
人が浸かっている。
おびただしい数だ。一万人を軽く超えるだろう。
それだけの人々が、一糸まとわぬ姿で青緑の液体の中に浮いている。
「なんてこった」
空洞の中腹に開けられた扉を開け放して、サイラスはこの光景を見ている。
「千五百年、こつこつと集めてきたわけか」
巡礼の姿を借りて、彼らはエオルゼア中を歩き、人知れず『人間蒐集』を行っていたのだろう。
ここへ来る前に、サイラスはこの『夢幻宮』内部で様々なデータを調べ上げていた。
浸された人間こそ、蛮神ソムヌスのテンパード。彼らはここに魂の楔となる肉体を留め置かれ、半分はこの中で蛮神を支え、この世界を維持するための“燃料として”消費される。
そしてもう半分は、魂を抜きだされ、仮の肉体を与えられ、この『真世界』の民となる。
彼らは祈る。平穏な世界を。彼らは願う。蛮神ソムヌスに、この絶対平和の世界がいつまでも続くように。
「やれやれ……。いちいち規模が大きい」
肩を竦める。
おそらく、この液体の中に、サイラスが依頼された人探しの対象であるカカメソ・タタメソもいるのだろう。
「問題は、あの液体から肉体を出して平気なのか、と……そもそもテンパードだ、ってところだな」
テンパード化の解除は、サイラスが知る限りは不可能だ。
テンパードは殺すしかない。
「くそったれ」
こみ上げてくる怒りを鎮めようと、サイラスは葉巻を取り出し――
「ここは禁煙です」
冷たい声に肩を竦めた。
サイラスの背後、様々な魔術装置が置かれた制御室の入り口に、女性が立ちサイラスを睨みつけていた。飾り気のない白いローブ。きつく結い上げた髪。その身に纏う厳然たる、そして威圧的な気配が、彼女のここでの地位を表していた。
『清慎(マデスティ)』――カティア・ガブリス。
「そいつはどうも」
葉巻をしまうサイラスへ、カティアは厳しく冷たい目を向けた。
「『真世界の民』は、この『夢幻宮』へ立ち入ることはできません。そもそも立ち入るという選択をしないよう、精神に禁忌条項を設けてあるはずです」
カティアが一歩踏み出す。その身から、白い魔力の輝きがこぼれる。
「サイラス・エインズワース……でしたか。女神の洗礼を受けたはずの貴方がなぜ、ここにいるのですか」
冷厳と、そして嫌悪感を露わにして、カティアがサイラスに問う。
問われたサイラスは、もう一度肩を竦め、おどけた表情で言った。
「いやあ、ちょっと観光をね。……そうそう、訊きたかったんだが」
言いながら、サイラスは帽子を目深に被った。
「クローンプラントはどこだい? アラグ製のだ」
「――!」
カティアは目を見開いた。それは、この世界最大の秘密。この『真世界』成立の大前提となる、秘中の秘。
「貴方は……! いいえ、もはや貴方が何者かを問うのはやめましょう」
カティアの両手に光が凝った。自らの光臨武器である手甲を装着すると、カティア・ガブリスはローブを脱ぎ捨てた。身体のラインが分かるほど密着した、金属の光沢を有するボディスーツ。
「貴方を――ここで滅します」
構えを取る。白いエーテルの光が、カティアの周囲で颶風のごとく荒れ狂った。
「やれやれ」
口元で笑い、サイラスは細剣を構えた。
「できればお手柔らかに願いたいもんだがね」
軽口を叩く。
だが、カティアは知らない。帽子に隠れたその下で、サイラスが凄絶な笑みを浮かべていることに。
『夢幻宮』の地下五百ヤルム。
聖域たるその場において、白魔道士と赤魔道士の激突が始まろうとしていた。
『Sweetest Coma Again』8へ続く
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