FILE.009 相互干渉ライブラリー9第1章 -8- 追憶2
「あと一つ、この山を超えたら着くからね」
絶え間無く繰り返される振動に揺れる耳へと女の人の声が届く。
耳同様に体全体が揺れている事に気付いて自分が車に乗っていることを思い出す。
僕は、車の後部座席に座り、何がどうなってこうなったのかは分からないけれど、シートベルトに頭を絡ませながら眠り込んでしまっていたようだ。頬っぺたに跡が残っていると、鏡を見なくても分かる。
「聡よく寝れんなあ、こんなデッコボコの山道でさあ。俺なんて、さっきからケツが痛くてしょうがねえ」
夢と現実の境界が曖昧なまま、隣に座っている少年が話しかけてくる。
僕は、言葉を紡ぎ出すことも、ほんの少しの声すらあげられないまま、シートから少年の顔を見上げる。
窓から差し込む日差しに包まれた少年は、まるで夢の中に出てくる登場人物のようだ。
人の輪郭をした影だけの登場人物。
「ほら、いい加減起きろって」
少年が右手の掌を僕の額に押し当てると、押し当てた右手の中指を、左手の中指で引っ掛けながら引っ張って、一気に弾いた。
「痛ッ」
僕は、絡まったシートベルトを力の入らない手でゆっくりと解きながら起き上がり、ふと気付いて咄嗟にヨダレを拭きつつ横を見る。
そこには、声の主である少年が座っている。
僕は、寝ぼけ眼を擦りながら、ぼやける輪郭に焦点を合わせ、少年の顔を眺め続けた。
光の中に浮かぶその顔は、見たことのある顔だった。
つい最近、同じクラスに転校してきた鈴村航平君だ。そうだ、彼に誘われて、夏休みを一緒に過ごすことになったんだ。
いつの間に眠ってしまったのか、自分がどんな夢を見ていたのか、そもそも何で僕が彼の田舎で一週間も暮らすことになったのかさえ、うまく思い出せない。
でもなんでだろう、彼の顔、彼の声が、妙に懐かしく感じる。もう何年も会っていなかった友人と久し振りに顔を合わせた気分だ。
僕が不思議な感覚にとらわれていると突然、体全体が宙に浮くほどに車が大きく上下に揺れた。
車で移動している事実を再認識しながら窓の外に目を向けると、そこに広がっていたのはテレビでしか見たことがないような雄大な景色だった。
一瞬にして僕の寝ぼけ眼は見開かれ、微睡みは完全に振り払われた。
断崖絶壁にも思える心許ない山道から見渡す景色は、青く澄み渡った青空に、遠くまで幾重にも連なる山脈、霧に覆われ鬱蒼と生い茂る樹海、そして所々に点在する名も無き集落といった風景の数々だった。
家族で旅行に行ったこともなければ、そもそも地元を離れたことすらない僕にとって、今この瞬間、この目に飛び込んでくる景色の全てが新鮮で、キラキラと輝いて見えた。
出発する時には遠出をする実感さえ湧かないまま、通り過ぎていく知らない街の知らない駅や商店街、そこを歩く知らない大勢の人達をただひたすらに見つめながら、まるで他人事のように、自宅でテレビでも見ているかのような心持ちだったことを思い出す。
そんな感覚も少しづつ変化していくのが分かった。それは、これまでに感じたことのない体験だった。
次第に建物の数が減るにつれ、景色全体に占める緑の割合が増えると、開け放たれた窓から流れ込んでくる風が爽やかになり、少しづつ自身を取り巻く環境が変化していく様を、脳が理解するより早く、体で理解し始めているのが分かった。
ただの傍観者から当事者へと変わっていく。
僕はそんな不思議な感覚を味わっていた。
でも、どんなに周りの環境が変わろうとも、こんなに狭い車の中でさえ、僕はひとりぼっちのような気がしていた。
転校してきたばかりのクラスメイトが隣に居て、彼の父親が運転する車に乗り、彼の田舎へと向かっているのだから、ここに自分の居場所がないと感じても仕方がない。
彼は学校でも人気者だし、教室では常に明るい場所にいて、そこには自然と人が集まり、笑い声やふざけあう声が絶えず響いている。
僕はといえば、たとえ席が教室の真ん中にあっても、僕と周囲のクラスメイトとの間には目に見えない隔たりがある。
あるいは目に見えない壁を作って、クラスメイトを遠ざけているのは自分自身だということも理解はしている。
だけど、どうしても僕は、彼のように明るい場所に行くことができなかった。
それだけの勇気が持てずにいる。
だから、彼にずっと聞きたかった。
「なんで、その、僕なんか、誘ったの」
「なんか、ってなんだよ。誰と比べてんだよ。お前はこの世界にたった一人しかいないんだから、誰かと比べる必要なんてないだろ」
「え、でも、鈴村君は・・・」
「でもじゃねえ」
「い、痛ひほ、顔引っ張んなひでほ」
「あと、その鈴村君って呼び方禁止な。下の名前で呼べ、いいな」
「でも・・・」
「!!」
ちょっと言いかけただけなのに、瞬時に反応して、しかも凄い形相でこっちを見てくるから戸惑いを隠せない。
なんで、こんなにも必死なんだろう。
「わ、分かったよ、航平く・・・」
「あーーー」
「な、なに!?」
「先に言っとくけど、君付けも禁止な」
なんだろう、なんで「してやったり」みたいな顔をしてるんだろう。
誰かの名前を呼び捨てで呼ぶなんて初めてだし、なかなか言葉が喉の奥から出てこない。
「俺だってはじめて会った時からお前のこと呼び捨てで呼んだだろ。だからお前も、な?だからさあ、ちょっと呼んでみ」
「え」
「いいから呼んでみ」
「こ、こうへ・・・・」
「だーもう聡、声小さい!!」
「こうへい」
「聡!!」
「航平!!」
「さとるーー!!」
「こーへーー!!」
「おー、いい感じ」
屈託のない笑顔を浮かべながら物凄く嬉しそうにはしゃぐものだから、なんだかこっちまでつられて笑顔になってしまう。
「なんかさ、航平って、人懐っこい犬みたいだよね」
「は?」
「小動物っぽい」
「言ったなー、聡ぅー」
「だーもう、ちょっと!!まとわりつかない!!」
「駄目だね、許さない。人を犬呼ばわりする悪い子には・・・くーすぐりの刑だー」
「ちょ!!ちょっと、やめ!!ぷはははははは」
「聡が笑ったー」
僕が必死になって築き上げた見えない壁なんて、物ともせず懐に飛び込んできて、笑い方さえ忘れてしまっていた僕に、笑顔を思い出させてくれる。
僕が自ら望んで手放したものを、彼はいとも簡単に取り戻させる。取り戻させてくれる。
彼と一緒にいれば、僕も変われるかもしれない。明るい場所へ踏む出すだけの勇気を持つことも、あるいは。
「で、なんで僕を誘ったの?」
「何だよ急に」
「急にじゃ無いよ。さっき答えてくれなかったじゃん。だから答えて」
僕は航平の両腕を掴んで前後に揺さぶりながら懇願した。
「ちょ、聡、いてーよ」
「ねー、なんで?教えてよ」
「どーでもいいじゃん、そんなこと・・・」
「どーでもよくない」
「・・・だと思ったんだよ」
「え、なに?聞こえなかった。もう一度言ってよ、航平」
「一緒だと思ったんだよ」
確かに航平の言葉は耳に届いた。届いたはずなのに、まるで聞こえなかった時と同じ、なんて言ったのか言葉の意味を理解することができなかった。色々考えているうちに運転席から声が上がった。
「坊主ども、着いたぞ」
ほどなく車は止まり、航平はスライドドアを開けるなり僕の手を取って走り出した。
「聡、こっちこっちー」
「ちょ、分かったから、引っ張んないでよ」
その時、助手席から降りた航平の母親が航平に声をかけて引き留めた。
「待ちなさい航平。聡君は初めての遠出で疲れてるだろうから、先にお父さんと一緒にお婆ちゃんに声をかけてらっしゃい。聡君は後から私が連れて行くから」
「う、うん。わかった」
そう言うと航平は、母親の顔を見上げつつ、頭の上に疑問符を浮かべながら、運転席から降りてきた父親と一緒に、大きな玄関の中へと入っていった。
すると、航平の母親が僕に声をかけてきた。
「あの子、少し前まで全く喋らない子だったのよ。本当はね、物心ついた時から人懐っこくて、誰とでだってすぐに仲良くなれる、自慢の息子だったのよ。そんなあの子を変えてしまったのは私たち。私たちの都合で何度も何度も転校させてしまって。一年と同じ学校に通わせてあげることができなかった。いつからかあの子、全く喋らなくなってしまって」
信じられなかった。
その時、僕は航平の「一緒だと思ったんだ」という言葉を思い出していた。
「家庭訪問の時にね、担任の先生から言われたわ。あの子、家だけじゃない、学校でもほとんど喋ってなかったの。授業中に先生から問いを投げかけられれば、ちゃんと答えるのに。でも、航平が口を開くのはそういった時だけ。休み時間になった途端、あの子、まるで声を失ったかのように口を閉ざし、誰の言葉にも耳を傾けようとはせず、誰一人相手にはしなかった。クラスのお友達から声を掛けられても言葉を返す素振りすら見せず、それどころか目を合わせようとすらしない。だから、自分から友達の輪の中に入るなんてこともあり得なかった。いつだったか、一人の女の子が航平の気を引こうと話しかけてくれたことがあったそうなんだけど、その時もあの子は無視したみたいでね。次第にクラスの中で孤立して行く様を、先生もどうすることもできずに、ただ見守ることしかできずにいるんです、って言われたの。自ら望んでクラスメイトと仲良くなるのを避けているようにも見えるから、航平にとっての最良の選択が何なのか、答えを出すことができずにいるんです、て」
僕と同じだ。
あんなにも明るい航平が、誰とも喋らずにクラスで孤立している時期があったなんて、今の彼の姿からは全く想像できない。
「仲良くなれば、別れが辛くなる。何度も同じことを繰り返すうちに、その悲しみに耐えられなくなったのね。でもある時、近所に住んでいた不良のお兄さんが航平と話をしてくれたの」
「不良のお兄さん?」
「そう、近所では名の知れた、札付きのワルだって聞いてたから、どんな人かと思ったら凄く優しい人でね。最初のうちはやっぱり、ね、そのお兄さんにも頑なに心を開こうとはしなかったけれど、なぜか彼、航平を気に掛けてくれてね。顔を合わせる度に何度も何度も、辛抱強く話しかけてくれたの。いつしか航平も、そのお兄さんにだけは心を許すようになって。そのお兄さんともお別れしないといけない時が来た時にね、お兄さんが航平に言ってくれた一言が、あの子を変えたの」
「なんて言ってくれたんですか?」
「お前は、ほかの誰よりも友達を大勢作れる環境にいるんだ。それを誇りに思え。いいか、ダチってーのはな、一生もんなんだ。たとえ、どんなに距離が離れても、どんなに会えない時間が続いたとしても、それだけで縁が切れることは無いし、何かあればすぐに駆けつける。それが本当のダチってもんだ。もちろん俺もお前のダチだ、マブダチだ。ダチとの絆が多ければ多いほど、深ければ深いほど、それはお前の強みになる。だから、自分から心を閉ざして友達を遠ざけるなんて真似はやめろ。悲しみや辛さは飲み込んで、笑ってみせろ。胸を張って生きろ、ってね」
「なんで、その話を僕に?」
「知っておいて欲しかったの。あの子が、積極的に友達を作ろうとしてるの、あなたが初めてだから」
見上げる彼の母親の笑顔が日差しに溶け込んでいる。
それから僕は、この場所で、かけがえのない時間を過ごした。
誰かと過ごす初めての夏休み。
家族とは何か、友達とは何か、子供ながらに色々と考えさせられる時間になった。
きっと大人になっても、この日々を忘れることはないだろう。
夜更けにふと目が覚めて、隣で寝ているはずの航平が居ないことに気付き、もぬけの殻の布団をまたいで障子を開き、畳の部屋から中庭に面した廊下へと出る。
白い三日月が池の水面に揺れている。
鈴虫の泣き声だけが夜の静寂に降り注ぎ、他の誰の息遣いも感じられない。
夏だというのに、廊下のひんやりとした床板の冷たさが体の芯まで凍らせていくようだ。
でもそれは、まだこの身が熱を持って生きている証。たとえ見知らぬ場所でも、生きてさえいれば未来はある。ちゃんと朝日は昇り、光に包まれた明日がやってくる。そう心の中で言葉を重ね、孤独に苛まれそうな心を奮い立たせながら、ゆっくりと歩き出す。
昼間の内に航平から聞いておいた御手洗いで用を足し、まるで迷路のような廊下を歩きながら航平を探していると、襖の隙間から灯りが溢れているのが目に留まり、そっと足音を立てずに近づいてみる。
「人には、誰しも二つの面がある」
航平のおばあちゃんの声だ。
おばあちゃんの前に航平が座っている。
心許ないロウソクの灯りが、二人の姿を闇の中に照らし出している。
「ふたつ?」
「一つは理性、一つは本能。理性を手放し本能に身を委ねるとき、人は立ち所に獣へと堕ち、狂気に走る。身の内に潜む魔物をひとたび解き放てば、己を、本来あるべき姿を取り戻すのは困難となろう」
「罪を犯したら、たとえ罪を償ったとしても元の生活には、以前の自分には戻れないってこと?」
「今の社会には、一度罪を犯した者に救いの手を差し伸べ、受け入れるだけのゆとりは無いように思える。たとえ相応の報いを受け、罪を償ったとしてもじゃ。奇異な目や非難の声を止めることは難しく、人を孤独へと追いやってしまう。やがて孤独は心の闇を増大させ、再び狂気へと走らせる。そうさせない為には、理解し、支える者が必要じゃ」
「ばあちゃんさ、さっきから誰のこと言ってるの?まさか聡じゃないよね」
「強すぎる光は時として闇に転じ易い」
「え、それ、どーゆー意味?」
「今は分からずともよい。ただ、あの子の手を離してはならぬ。決して目を離さず、常に傍にいてやることじゃ。よいか、たとえどんなことがあろうと、あの少年を独りにしてはならぬ」
すると突然、ロウソクの火が消え、不意に訪れた暗闇と静寂に辺りが静まりかえると、隙間の向こうに見えた二人の姿もまた、蜃気楼の如く暗闇に溶けて消えてしまうのだった。
続く↓
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