黒い森、救済の光
Ⅳ.
森林の道に人影はなかった。西の高台の上の方から破壊の衝撃が地を揺らし、人や獣や化け物の叫び声がこだましている。ダンスタン監視哨に灯る灯りに翼の生えた妖異がたかり、長老の木を望む早贄台では怪鳥と妖異が取っ組み合っている。
羽虫の群れやダイアマイトたちが、混沌に巻き込まれまいと森の茂みに姿を隠した。
「やっぱりわたしたちも隠れてた方がよかったかしら?」サラセニアが言う。
ロナンは両手を挙げて首を振った。物珍しそうに空を飛ぶ妖異たちを見つめている。彼女は背負ったもう一つの大ぶりな銃を取り出して言った。
「とりあえず一発撃っていい!?」
「めちゃくちゃなことしないで。まだ何がどのくらい湧いてるのか分かってないんだから」
そう言いながら銃を構えて、サラセニアは言った。「今日はどんなオトモダチが一緒なの?」
「このブラムちゃんはドラゴンヘッドの隣に雪崩を起こした!」ロナンは大ぶりな銃を叩いた。「この子もうサイコーにドッカーン!って感じ!ドラゴンっぽい奴は雪の下敷になるのが嫌いみたいで、カンカンに怒ってたけど!」
サラセニアは拳すら入りそうな大きな銃口を見た。ここから放たれる弾は撃ち抜くためというより、中に詰まった大量の火薬を爆発させるためのものだろう。出来れば──少なくとも自分の近くでは使わないでくれることを祈った。
「アンタのは!?」ロナンが問い返す。
サラセニアは細身の狩猟用のライフルを見せた。
「この銃で、わたしは邪魔する奴らを撃ち抜いてきた」様々な感情が入り混じった声で、サラセニアは答えた。「妖異の連中もこれに対する用意はできてないでしょうね」
ロナンが笑ったのがジョークのせいか、たった一丁の銃だけしか持っていないせいかは分からなかった。だが、戦いを前に緊張を解くには十分だろう。
サラセニアは西の高台へと上がっていった。
整備された木製の階段を登り、地神の忘却と呼ばれる巨大な天柱樹の根を渡り、断崖の上を目指す。いつもその麓に立って冒険者たちに森の危険を忠告していた鬼哭隊の隊士たちは、今夜はいなかった。彼らも上で戦っているのだろう。
二人は地に空いた大きな穴を囲む木組みの足場までやってきた。すでに鬼哭隊の隊士や、冒険者らしい集団が武器を取って妖異と交戦している。ララフェル族の魔法使いの背後に迫っていた妖異をサラセニアが撃ち落とすと、ロナンも続いて機関銃の引き金を引いた。
銃弾の雨と冒険者と隊士たちの反撃で、周囲に束の間の安息が訪れた。彼らはグリダニア市街や崖の下まで奴らが届かないようにここで防衛線を敷いているようだ。
「こんなとこがあったなんてゼンゼン知らなかった!」ロナンがゴーグルの下で目を輝かせた。「森の中って静かすぎてタイクツだからゼンゼン興味なかったんだよね!」
「いつもはもう少し落ち着いてて綺麗なんだけれどね」サラセニアは言った。
大きな木の陰で何かが動いた。揺られた枝が葉を散らせ、ひらひらと舞い落ちる。すかさず音のした方へ銃口を向け照準を覗いたが、何も見えず銃を下ろした。
「居なくても撃っちゃえばいいのに!」
「人だったらどうするの」闇の中を蠢く気配をサラセニアは睨みつける。「わたしは外さない。だからちゃんと撃つ前に確かめるの。わたしはもう誰も殺さないし、恨みも買いたくないわけ」
暗がりに潜む気配の数が増えていくのを見て、ロナンは残念そうに息を漏らした。
「じゃあ、どうするの!?」
闇が少しずつ迫る。ひどく無防備に感じながらも、サラセニアは言った。「待つのよ」
その奥で何かが犇めき、黒い影がざわめいた。
闇の中から、角付きの異形が飛び出してきた。暴力に鍛えられた太い腕、剥き出しの鋭い歯──人間じゃあり得ない筋肉量の体を揺らして、喉の奥で異界の炎を燃やしている。
眉間の中心をサラセニアに撃ち抜かれ、オーガは不気味なうめき声を立てて倒れ込んだ。慣れた手つきでボルトハンドルを操作する。これで弾が再装填されるのだ。
一瞬の沈黙。
闇が鋭い爪に切り裂かれ、妖異が一斉に飛び出した。
花の化け物も大きかったが、羽を広げた蝙蝠の化け物はさらに大きく感じた。ヴィルメアは狂ったように右へ左へ軽やかに跳ねまわりながら、化け物の体に槍を突き刺した。デスゲイズは空中へ逃げ出そうとしたが、ヴィルメアの狼牙の槍はそれを許さず、翼膜を貫いて風穴を開けた。
バランスを崩しながらも、デスゲイズは爪を振り回し森の木々を切り裂くが、風と一体となって駆けるヴィルメアには当たらなかった。のろまな狩人が生き残れるほど、風の渓谷は安全な土地ではない。ヴィルメアは転がり、飛び上がり、空を蹴って槍を突く。化け物はうまく空気を掴めず、布きれのように地に堕ちた。
視界を怒りが赤く染め上げていても、ヴィルメアはのたうつ異形の醜く歪んだ顔を見た。
その両目には、怒れる闇の本能がぎらついている。
この瞬間、狩人は化け物に深い繋がりを感じた。
この化け物の魂は、怒りや復讐に塗れた殺し合いの興奮を知っている。
ヴィルメアに喜びが沸き上がる。
「さぁ、全力でやるっスよ。勝つのは俺っスけど!」ヴィルメアは吠えた。「それで終わりじゃないっスよね?」
これほどやりがいのある獲物を狩れるという期待が、槍に宿った神秘の魔法を更に呼び起こし鋭く輝かせる。ヴィルメアは化け物の顔目掛けて突進した。デスゲイズの死の爪を弾き返す度、ハフアフィルの森に棲む大猿の打撃よりも重い衝撃が全身にかかったが、痛みなど一切構わなかった。
ヴィルメアは大地を蹴り、槍を上段に振りかぶる。
狩人を迎える獲物の目を、真っ向から見据えた。
「勝負っス!」ヴィルメアは吠えた。「狩るか狩られるかっスよ!」
渦巻く闇の大群から、鉤爪を振り上げ、だらしない涎を撒き散らす口を開いて妖異が飛び出してきた。サラセニアがその顔面に銃弾をぶち込むと、それは風に吹かれた煙のように消え去った。
続く一発で、さらに一匹が消える。
恐怖を押し殺して微笑みを湛えつつ、弾を込めようと木組みの足場の陰に滑り込む。サラセニアはポーチから茶色い革の巻物を引っ張り出すと、その中に縫われた小さなポケットにひとつひとつ入れられた銃弾を抜き出した。
「なんか古臭い!」隣にしゃがみ込んだロナンが笑う。
「これでやってきたの」
「一途なのもカワイイね!」
影から飛び出し、駆け寄ってくる妖異に銃を向ける。
金属がガチッと噛む音を立てて、弾詰まりを起こした瞬間、彼女の微笑みは凍り付いた。
──しばらく使ってなかったせいね。
「ロナン!オトモダチひとつ貸して!」そう叫んで自分の銃を仕舞い、差し出された黒光りする機関銃を掴み取った。複雑に入り組んだ内部機構が高速連射を可能にする前衛的な作りだったが、引き金と銃口があるのは同じだった。
すぐさま銃口を前に向け、引き鉄に指をかけて力強く引くと、手の中で地震のような反動を起こしながら放たれた無数の銃弾が、目前まで迫っていた妖異の体をぐしゃぐしゃに散らばらせた。
「この子結構過激なのね」
「超イイ感じでしょ!」ロナンは白い歯を全部見せながら満面の笑みを浮かべている。
吼える闇の軍勢が嵐のように、スカンポの安息所を覆い尽くしていた。加勢に来た冒険者たちの何人かは悲鳴を上げて逃げ惑っている。妖異たちはその背中を爪で切り裂き、血を凍り付かせ、胸に手を伸ばして恐怖で心を打ち砕く。少なくとも十人は殺され、そのうち三人は奴らの仲間入りを果たしていた。未だ戦い続ける者たちは皆、この地の守護神の名を、愛する者の名を、あるいは遥か遠い地の異教の神の名を叫びながら、武器を振るっていた。
意味があるのなら誰の名でも呼べばいい。
ロナンは歓喜の雄叫びを上げながら、空に飛び交う妖異たちに向かって銃を乱射していた。その体には降り注いだ妖異の血がべったりついていて、開けっ放しの口に肉片が飛び込んでくると、ぺっぺっと吐き出しながら悪態をついた。
「気を抜かないで。まだ終わってないわよ」
「わかってるって!」ロナンは顔を上げた。「町一つめちゃくちゃにするだけの準備してきてるんだから!」
元々何をするつもりだったのかを問い詰める前に、ロナンは体を傾げ、サラセニアの背後を撃った。悪魔としか表現できないような翼を持った妖異が絶叫を上げて消えた。間髪入れず、サラセニアはロナンに飛び掛かる牛のような湾曲した角を持つ妖異を撃ち、借りを返した。
「もうガマンできない!」ロナンは叫ぶと、ベルトに下げた果物みたいな形をした拳大の爆弾を二つ、闇の群れに投げ込んだ。
耳を聾する爆音とともに、煙が巻き上げられ、土や妖異だったものが飛び散って跳ね回った。肉が焼け焦げたような臭いが辺りに充満する。妖異の群れは消え失せていた。
サラセニアは頭を振りながら耳を叩いた。
「最初っからそれを使ってもよかったかもね」
「やめてほしそうな顔してたからね!……ガマンできなかったけど」
「まぁ、いいアイデアだったわ」サラセニアは言った。「大体片付いたかしら?」
「どうだろう!?」
突風が吹き抜けて煙を連れ去っていくと、静かな暗闇が広がり始めた。その向こう側から、また草木を踏みしめる足音や不快な羽音が聞こえてくる。捻じ曲がった角、手足の生えた目玉、イカみたいな脚がたくさんついた顔。どいつもこいつも妖異だ。
かなりの数をやったはずだったが、奴らは害虫のように無尽蔵に湧いてくるようだった。
こういうときに使う言葉ってなんだったかしら?罵る言葉も思い出せない。
「まだまだたくさんいるみたいね」恐怖を押し隠しながら、サラセニアは言った。
ずっと閉じこもっていた自分を変えたかった。底抜けの明るさに触れ、ありがたいお言葉を受け、一度は死へ向かおうとしていた心は、かつてのように命の物語を書きたがっていた。かつて家族同然だった仲間たちとそうしたように、武器を手に取り誰かと肩を並べて戦いたかった。そうして勝利の一ページを記し、新たな物語の幕開けを迎えるのだと意気込んでいた。
でも、ここで終わりのようだ。
一際大きな羽ばたきの音が鳴り、またも突風が吹き抜けた。そして、もう一度。
台風のような音が闇の中で少しずつ大きくなっていく。
翼を持つ妖異たちさえも風にあおられ壁や大地に叩きつけられる。その激しさに、深く根を下ろした大木さえも揺り動かされた。
「あれ、何かな?」ロナンが言った。
「まだ分からない」闇の中からオレンジ色の巨人が現れるのを見ながら、サラセニアは言った。獅子に似た顔をした巨人は四枚の翼を翼を背に持ち、長く伸びたサソリの尾や鷲の脚の先の爪は鋭く尖っている。
「暴風の魔王……」サラセニアが呟いた。
ロナンは不思議そうに首を傾げた。これが何なのか分かっていないようだ。
「風を操る大妖異よ。こんな場所にいるはずもない……」
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