1つ前の日記の続編みたいなもんですが、「たとえもしも体は病んでも、心だけは常に健康でいたい」という方はぜひ読んでいってください。
なぜこんなに生きることは怖いのか。辛いのか。
なぜ時としてばくぜんと、将来が不安になるのか。
フワっとではなく、ちゃんと根拠をつけてしつこく説明していきます。
ヒトは元来、得体の知れないものを非常に怖がるもんです。たとえば、霊とか神とかUFOとか宇宙とか、暗闇とか地底奥深くとか海の底の底とか。よく分からないもの、先になにが有るか分からないものを恐れる。
分からないままでは怖いから、ちゃんと理解したくなります。必死に考えてあれこれ論説を唱えます。一生懸命真理を追究します。たとえ自分の手に余るものだとしても、たとえ結論を出したところでどうにもできないとしても。
まあ、『恐れ』というの自体は動物全般が持っているものですが…人間以外の動物の場合、得体の知れないもの正体の分からないものを恐れるというよりは、生命を脅かすような何らかの危険を察知してビクっとなるというのが正しい。
では、人間はどうでしょうか…
人間は動物のなかでも脳が飛びぬけて発達しているのは、周知の事でしょう。
脳の中心には動物的な働きをもつ部分があって、それを補強するように、それを合理的に使うように、周囲を理性的な機能を持つ部分で覆っているそうですが。この理性的な部分の大きさが、ヒトをヒトたらしめているわけです。
仕組み上、どうあがいても真ん中には動物の本能的な部分があるわけですから、人間の深層心理は、いつもその本能を映し出しています。
あらゆる本能を、理性的・合理的な部分で解釈・補強する。
その産物がいわゆる「心理」であります。
たとえば『恐れ』という感情…これも人間の場合、「個の命と種の存続を脅かすものへの恐怖」を補強して、「理解が追いつかないものへの恐怖」「支配出来ないものへの恐怖」というものにしてしまいます。
この心理がヒトの恐怖を増大させます。
要するにすごく怖がりなんですよ、人間は。
「あれは脅威だ」を「あれは今後脅威になりえるかもしれない」にしたり、
「あれには敵わない」を「なんとか支配しておきたい」にしたり、
そうして恐怖センサーを敏感にしておくことで、危険を先読みできるのです。
この先読みは人間特有の優れた危険察知能力であります。
が、このせいで気にしなくてもいいことを気にしたりすることもしばしば。
現代社会で共感されやすいのは、
「嫌われたくないから友達(恋人)なんて要らない」(また独りになるのが怖い)
「ダルいから新しい人間関係なんて要らない」(摩擦や衝突で疲れるを危惧している)
「本気でこの職につきたいけど上手くいかなかったらどうしよう・・・」
などという、まあよくあるやつですよ。
でね、これらには共通する恐怖の対象があるんですよね…
それは「未来」です。
「未だ来ない」と書いて未来。まだ実際に来ていない、手に入れていないから、憶測でしか判断できない。何があるか分からない、どんなひどいことが待っているか分からないから怖い。どんなによく考えても、支配できはしない。だから怖いのです。
危険が有るかどうかは分からない、断定できないが、危険がある"かも"しれない。
未来をコントロールできないという恐怖を、ヒトは皆、大なり小なり抱えて生きています。
ですから占いに頼ったりしますし、ドラマや漫画なんかで「もしも未来が見えたら」というテーマがよく出てくるわけです。でも結局「分からないから面白い」という結末になったりしますけどね。
(なんで分かると面白くなくなっちゃうかというと、それもまた心理なんですが、人間てのはなにか刺激がないと生存欲求が満たされない不器用な生き物なんですよ。これは、合理的に安全に生きようとするヒト理性に、動物的な衝動がちょっかいを入れるからでしょう。「なまっちまうから動いてくれよ」と。「戦争は絶対いやだけどリアル志向のゲームで撃ちあいするのは好き」とか「現実の暴力は好きじゃないけどステイサムのアクション映画でスカッとする」とか「冒険みたいな生き方は大変そうでしたくないけど、MMORPGの世界には憧れる」とかいうのも、そういう葛藤の埋め合わせです。だから実際そのような非現実的な刺激に満ちた娯楽には、多大な需要があります)
すこし話をそらしましたが、とにかく人間は未来を怖がります。ですから、「ここまでくれば、もう自分の人生は安全だ」とどこかで思いたがるものです。そのために色々情報を集めて、周りの多数派の生き方をまねしようとします。
それは先ほども言いましたとおり、正常な危機察知能力のはたらきですので文句はありません。私にだってそういう部分は強くあります。人間だもの。
でも、この安心感を過信していると、葛藤が深まって、心の闇が濃くなります。
もう何度かお話しました学歴・経歴至上主義(信者といってもいい)の人たちの思考。
皆が正直になれる社会の縮図である、このネットの海にはよく出没しますが、
「世の中の人たちが言うとおり、とりあえず勉強してとりあえずいい大学を出て、とりあえずどこかの企業に正社員として就職しました。偉いでしょう。低学歴のニートやフリーターなんかとは違うんです僕達。学歴があっておまけに正社員ですよ!?しかもこんな一流企業ですよ!」
という人たちね。
彼らがつかんだもの、才能と努力とその結果自体は、まえにも言いましたが単純に拍手を送るべきところです。「よくがんばりましたね。凄いです!」と。
彼らの友達の中には「お前やっぱすげえなあ。これでもう人生安泰じゃん!俺が路頭に迷ったら頼むわw」などと言ってくれるお調子者がいるかもしれない。
でも相手を応援するなら、相手のことを思うなら、真の友達なら、ほんとはそのあとに一言付け足さなきゃならない。残酷な言葉を。
『これから忙しくなるだろうけど頑張って』
『大変なのはこれからだろうから頑張ってね』
(「だから困ったら頼ってね」と加えてあげてもいいでしょう)
この最後の一言を、自分に対しても他人に対しても忘れてしまってるネボスケが多すぎるんですよ。口で言っても態度で見せるんでもいいですが、とにかくこれらは忘れちゃいけない言葉です。
たいていの人たちはもう、「ここまで頑張った。これを手に入れた!ここに立った!」で終わり。後のことなんか視野に入ってないんですわ。予定調和を求めて頑張って、もう疲れちゃってる。手に入れて満足しちゃってる。
それはなんでかっていうと、「ここまでくれば後は安全だよ」とずっと教わってきたから。
でもね、これを読んでる皆さんも分かってるはずですよ。
勉強にしたって入学してから課題だの研究だのテストだのやらなきゃいけないわけだし、仕事にしたって就職してから4,50年やってくわけじゃないですか。なかには定年後も死ぬまで働く人もいます。おまけにそこに人間関係の摩擦や衝突もついてくる。
ほんとに大変なのって『これから』なんですよね。
ゴールを間違えちゃいけない。
ゴ-ルを間違えている人間は、「え?俺もう大丈夫なんじゃなかったの?こんなに辛いなんて聞いてない」となりますから、失敗をするたんびに葛藤にさいなまれ闇が深くなり、
「辛い辛い」「毎日朝から晩まで・・・時間が無ぇ」
「彼女もできねえし出遭いねえし」
「あいつあんなに愉しそうに生きてやがる!!!きっと生まれてからずっと楽してんだろうな。顔がいいからだろクソ」
「あの有名人持てはやされてるけど、俺とちがって天才だからたいして苦労せずあそこまで行ってんだろ?クソが」
「俺だってもっといい学歴がありゃなあ!やれてんだよ!認められてんだよ!」
というひねくれ者になっていく可能性が非常に高いわけです。
学歴や経歴というのは自分の可能性と生き方を示すもんであって、自分の毎日毎日の選択の結果だということを忘れてるんですな。
神様か何かみたいに崇拝して、それが人生を決めるんだと思っちゃってる。そこで人生完成するんだと思っちゃってる。自分の日々の意識と選択が経歴を決め、それが他人にとっては参考材料のひとつになるだけなんだということを忘れてしまってる。
人生なにがあるか分かりませんよ。「こんなはずじゃないのに!!なんでボクが!!」と、無理やりエヴァに乗せられたシンジ君みたいに思ってもしょうがないことってたくさん有ります。
同じいい大学に入ったからといっても、そこでテストだけいい点数とってこなしてボケっとなんとなく自分の力を過信して世の中を舐めて過ごしている凡人と、その学校でどんな先生に教わって何を学んでどんな資格を取ってどんなふうに人生頑張っていこうか豊かにしていこうかと考えて過ごしている秀才たちでは、仕上がり方が圧倒的にちがうでしょ。
社会人になってもそうですよ。
ゴールを間違えてると、ろくなこと有りません。
ちなみに、かくいう私はといいますと、昔からそれはそれは勉強がだいっきらいで(苦笑)
出来るんだけど嫌いで嫌いでしょうがねっていうタイプでした。結果、ろくな大学を出てませんが、要所要所で周りに実力を示すことでなんとか生きてきました。
私は自分のこと、モチベーションとか色々総合的に含めて観て、賢い人間とは決していえませんね。立派でもない。
だけど、自分のこれまでの経歴を恥ずかしいなと思ったことは有りませんし、SNSとかで無職やアルバイトや低学歴の人をあーだこうだ言ったりしたこともありません。また逆に高学歴の人に嫉妬したこともありません。単純にすごいなと思って観てますから。
自分のいまの状態は自分の選択の結果だと分かってるし、「分からないのはこれからで、大変なのもこれからだ」という意識は常にもつようにしているからです。
そのように考えて生きてきたおかげで、これまでそこそこ多くの人の人生についての悩みを聞いて「こんなにちゃんと聴いてくれるひと初めてだ。ありがとう」とか「頑張ってみる。本当にありがとう」という心からの感謝の言葉はいただけていて。自殺を思いとどまらせたことも何回かあります
もちろん仕事でも相応に相手に頼ってもらって、働きにも感謝されています。身体の健康状態はぜんぜんですが、心はいつも充実してますよ。家族の心の病とも15年以上の付き合いになりますが、ちっとも伝染せず頭もハッキリしています。外で当たることもありません。
自分としては、「いろいろ苦しんだりしてた時期もあったけど無駄じゃなかったな。ちゃんと今までのぜんぶを肥やしにして生きてこれているな」と自覚できるところです。
いま学生の方には特に覚えといて欲しいことですが、才能の有無を差し引いた上で人生を決定的に左右するのは、あくまでも発想力・行動力・コミュ力ですから。
錦織選手とか羽生選手とか矢沢永吉とかああいう才能で出世して讃えられてる人たちだって、みんな相応にがんばってるんです。才能とか看板とかを、ただ「ほれほれwドヤww」と見せびらかして生きられるのは、ほんの底辺の世界だけ。序盤だけですよ。
才能があってもそれをどこでどう活かすのか発想できなきゃダメだし、実際にやる行動力は必須だし、忍耐も要りますよね。あとは関わる人たちとのコミュニケーションが非常に重要です。世の中で生きる以上は他人の評価が付いて回りますから。
あのホリエモンだって一度は捕まってね、一時期は刑務所に居たっていうのに今また相変わらずのキャラで偉そうにとても精力的に活動されてますよね。いろんなとこ飛び歩いたり、著名人と一緒に動画やったりして多くの人たちから評価を受けていますが…もし彼が肩書きだけの人間だったら、関わりのある人たちから「このひとは仕事で結果を出す人だ」と認識されてなかったら、あそこまで社会的に復活できていませんでしょう。
今の人でも昔の人でもそうですが、凄い結果をあげて大衆に尊敬されている偉人賢人たちの経歴なんか、調べてみますと、たいてい数々の失敗を踏んでますよ。それが当たり前なんです。
重要なのはそこでそれを肥やしにできるかどうか。気持ちとか態度とか、そういうのをちょっとずつ充実させていけるかです。
学歴学歴そればっかにうるさいボケた世の中だけども、人生なんて所詮は、常に日々の積み重ねの結果ですよ。そして運。
自分じゃなにもしないで他人の成果にあやかって生きてるくせに他人が失敗するとここぞとばかりに突っつきにいく…自分だって「人生を究めよう」「より苦労しよう」として生きているわけでもないくせして、他人が楽をしているのを見ると「もっと苦労しろ」と言い出す…あんな愚民の声ばかりを鵜呑みにして、コンプレックスを抱え込まないようにしてほしいものです。
自分は自分の力でなにが出来るんだろう何がしたいんだろうと考えて、出来ることを出来るだけ、やればいいんです。
そして、「やっぱめんどくせえ」「そこまで出来ないな」と思ってやらなかったなら、それは完全に自分の落ち度だし、それもひとつの選択なんだから、あとからグチグチ言わないこと。私だってそれを叱る気も資格も一切ありません。それはそれでいいじゃんと思いますよ。
やらないのは自分が悪い。やらないならやらないで、自分はその程度なんだと認めることです。そうすれば、不要な嫉妬もしなくなるし。
あとはまあ、そのときそのとき自分がどんなにしっかりして見えても、裏でいろいろな人に迷惑かけて、お世話になってるんだということは忘れずに。
きっと生きている以上はずっと、コンプレックスや後悔を抱えていくことにはなります。だけどそれを出来るだけ小さくして、精神的に充実して生きることはできますから。
人生は今じゃない。過去も今も未来もひっくるめて人生なんですから。
なんとなく苦しくてしょうがなくなったとき、先が見えなくなったとき、
こういう考え方試してみて下さい。
きっと心の闇が晴れますよ。
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