ラケティカ大森林の木漏れ日は、いつもより柔らかく感じられた。
「夜の民」たちの里で、ヤ・シュトラは相変わらず穏やかに、しかし確かな芯をもって人々に向き合っていた。
ルナルの小さな手が、ためらいがちに差し出したのは一凛の花だった。
――夜の民にとって、花は祈りであり、約束であり、時に胸の内をそっと託す道具でもある。
ルナルはその意味を知っている。だが、彼の声はどこか幼く、言葉にならない熱を含んでいた。
「姐さん……オイラ、ずっと姐さんといたいんだ。いなくなるなんて寂しい、お願いだよ」
そのひと言に、周囲の空気がほんの少しだけ揺れた。
ヤ・シュトラは、花を受け取りながら一瞬だけ目を伏せた。驚きでも照れでもなく、彼女の瞳には丁寧な尊重が宿っている。
彼女は決して軽く扱わない。人の想いを、文化を、歳月で磨かれた形を。
「ルナル、あなたたちが自分で考え、祈り、学んできたこと――それが何より大切なのよ」
そう言いつつも、ヤ・シュトラは柔らかく笑って、ルナルの幼い胸を押し返すように抱きしめた。
その仕草は師というだけでなく、導き手としての深い愛情だった。
私は傍らで見ていて思った。
ルナルの一凛の花は、ただの「憧れ」の表現に留まらない。
あの花には、尊敬と依存、そして人として向ける愛慕が混じっている。
だがそれは、ヤ・シュトラとルナルの関係が持つ独特の距離感の上に成り立つ――互いに守り合うものの、交わることのない時間軸があるからこそ、やさしく切ない。
ヤ・シュトラは軽く首を振り、冗談めかして言った。
「そんなときは、私を呼びなさい。私は“マトーヤ”よ」
その言葉に、ルナルは泣き笑いの表情を浮かべた。報われることのない哀しさはそこにあるけれど、同時に確かな救いもある。
ラケティカの風は、花の香りを運び、少女の名を呼び、幼い誓いを遠くまで響かせた。
ルナルの想いは形を変え、いつか別の誰かの勇気になるだろう。
それが恋であれ、憧れであれ、祈りであれ――大切なのは、人がその想いを抱き続けることだと、この森は教えてくれる。
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