没日記 蔵出しコーナー(大山 のぶ代の声で)
この日記は暑かった2023年夏に書いたのですが、FF14とも関連が薄くニッチな話題なうえ、
長いので下書きのまま保管していました。
先日 カーシャ様の 後ろの正面って という日記を読んだので
https://jp.finalfantasyxiv.com/lodestone/character/11552482/blog/5373607/今回投下しますw
当初は1万字を超えて保存できませんでしたが、今は9100字程度です。
長くて・・・あみのん ごめん
それでは 比較民俗学が専門のきめ先生お願いします
自ら籠に入るきめ先生
今日は皆さんもよくご存じの わらべ歌「かごめ かごめ」についてです。
このわらべうたは、テレビなどでもその不思議な言葉の背景や意味、
歌の主旨などが、取り上げられていますね。
籠から目がでている=カゴメ
歌詞と遊び方「目隠し鬼」などと同じく、大人の宗教的儀礼を子供が真似たものとされる。
歌詞が表現する一風変わった光景に関しては、その意味を巡って様々な解釈が。
作詞・作曲者不詳。
現在一般的な歌詞
か ご め か ご め か ご の な か の と り ー は
い つ い つ で や ー る よ あ け の ば ん に
つ る と か め と す べ っ た う し ろ の しょう めん だ ー れ
歌詞の一般的解釈(諸説あり)
「かごめ かごめ」=「囲め 囲め」
「カゴの中の鳥」=「鬼」 つまり鬼を囲め
「夜明けの晩」「後ろの正面」は両方とも逆のこと。
中の鬼が入れ代わるという言葉遊び。
「鶴と亀が滑った」縁起のいい生き物が滑ってひっくり返る。
>それまで鬼でなかったものが鬼になる。
遊び方
鬼は目を隠して中央に座り、その周りを他の子が輪になって歌を歌いながら回る。
歌が終わった時に鬼は自分の真後ろ(つまり後ろの正面)に誰がいるのかを当てる。
うしのろのしょうめんだーれ?
えーと さ・・さつきさ・・・・
その瞬間、背後の殺気が膨れ上がった ずももも
慌てて言おうとした名前を飲み込み、言い直す
いえ ぷり・・ぷーにゃ!
各地方で異なった歌詞が伝わっていたが、昭和初期に山中直治によって記録された
千葉県野田市の歌が全国へと伝わり現在に至った。
そのため、東武野田線の清水公園駅の前に「かごめの唄の碑」が建立されている。
https://chromatic.jp/kagomekagome/皆さんの地方ではどんな歌詞でしょうか?
地方により異なる歌詞。
かごめかごめ 籠の中の鳥(鳥居)は いついつ出やる(出会う)
夜明け(八日、十日)の晩に(番人)
鶴(ツルッ)と亀と滑った(統べた)
後ろの正面(少年)だあれ?
真ん中に鬼が居ないと思われるバージョン(古い江戸期のものに近い)
夜明けの晩に つるつる滑った 鍋の鍋の底抜け 底抜いてたもれ
かごめかごめ 籠の中の鳥は いつもかつもお鳴きゃぁる(お鳴きやる)
八日の晩に 鶴と亀が滑ったとさ、
ひと山 ふた山 み山 越えて
ヤイトを すえて やれ 熱つ や(お灸を据えて、やれ熱や)
京都には「かごめかごめ」と同じ遊び方の「京の大仏つぁん」という遊び歌がある。
https://www.youtube.com/watch?v=0_Ea6TgfWkI「京の京の大仏つぁんは 天火で焼けてな 三十三間堂が 焼け残った
ありゃドンドンドン こりゃドンドンドン 後ろの正面どなた」
当時日本一の高さを誇っていた方広寺大仏(京の大仏)は、寛政10年(1798年)に
落雷のため焼失してしまったが、隣りの三十三間堂は類焼を免れたことを歌っている。
現存する文献と歌詞「竹堂随筆」江戸中期文政3年(1820年)頃に編纂 これが一番古い
宝暦・明和年間(1751年 - 1772年)頃に収録された童謡集
この歌詞が原型と思われる
「かァごめかごめ。かーごのなかの鳥は。いついつでやる。夜あけのばんに。
つるつるつっぺぇつた。なべのなべのそこぬけ。そこぬいてーたーァもれ。」
「鶴と亀が滑った」の歌詞が「つるつるつっぺぇつた」だった
「つるつる」は鶴ではなく、物がするすると引っ張られる様子の擬態語。
「つっぺぇつた」は「つっぱいた」が変化したもので「引っ張る、突っ込む」の意
(諸説あり)。
このカゴメの原型バージョンは真ん中に鬼は居ない。
どういう遊び方だったのかが詳(つまび)らかでは無いが、歌詞からは引っ張って、
人の輪の中に突っ込む/引き込む様な遊び方だったことが窺える。
「戻橋背御摂」:文化10年(1813年)、江戸で初演された歌舞伎芝居
「かごめかごめ籠の中の鳥は、いついつ出やる、夜明けの晩に、つるつるつっはいた」
(つるつるはいつた)
「月花茲友鳥」(つきとはなここにともどり):文政6年(1823年)浄瑠璃。
「かごめかごめ籠の中の鳥は、いついつ出やる、夜明けの晩に、つるつるつるつゝぱつた」
「幼稚遊昔雛形」:天保15年(1844年)万亭応賀編の童謡童遊集
「かごめ かごめ かごのなかへ(の)とりは いついつねやる
よあけのまえに つるつるつッペッた なべの なべの そこぬけ
そこぬけたらどんかちこ そこいれてたもれ」
「俚謡集拾遺」(りようしゅうしゅうい):1915年(大正4年)刊
「籠目かごめ、籠の中の鳥は、いついつでやる、
夜明けの晩に、ツルツル辷(つ)ウベッた。」(東京)
「籠目かごめ、籠の中のますは、何時何時出やる、十日の晩に、
鶴亀ひきこめひきこめ。」(長野県)
「かごめかごめ、籠の中の鳥は、いついつ出やる、
よあけの晩げつゝらつゥ」(新潟県)
まとめると 「かごめかごめ」の歌は文献には江戸中期以降に出現
当時は鶴と亀が出てこない
「後ろの正面だぁれ」 の歌詞も無く、おそらくは真ん中に鬼の居ない遊び。
歌詞から 引っ張られる様に人の輪の中に入っていく様な遊びだったと推測。
明治になって、恐らくツルツルから鶴が
そして対になる亀も歌詞にでてくる様になった。
真ん中に鬼が居る「後ろの正面だぁれ」の歌詞は明治末期以降。 おそらくはこの頃に現在の形に近いものになったのだろう
こういう歌詞の変遷を考えると、後述するこの歌の解釈も齟齬の生じるものが多い。
また、現在のかごめかごめと同じ遊び方の「京の大仏つぁん」がいつ頃から
出現したのかも判らなかった。大仏が焼失したのが1790年なので、
これが原型で、明治後期に「かごめ」と合体したのかもしれないが、
全く資料は無い。
「かごめかごめ」に関する俗説歌詞の解釈歌詞を文節毎に区切り、それぞれを何かの例えであると推定し、
その後で全体像を論じる形をとっているものが多い。
一部を紹介する。
「かごめ」
籠目、竹で編まれた籠の編み目を表す。
囲め が訛ったもの。かごめ遊びの際に、皆で「囲め、囲め」と呼び合っている。
屈め が訛ったもの。オニに対して「屈め、屈め」と言っている。
籠目の形、すなわち六角形/六芒星のこと。
籠女 見た目が籠を抱いているような女性、すなわち妊婦のこと
処刑場を囲んだ竹垣。
かぐめ「神具女or神宮女」で「巫女」「預言者」「斎宮」の意。
籠目の神紋、つまり「亀甲紋」「二重亀甲」を指す
「かごのなかのとり」
そのままの意味で、当時の風俗から考えて鳥は鶏(ニワトリ)。
かごめ遊びの中で、オニとなった人を「籠の中の鳥」に喩えている。
籠の中の鳥居 籠に囲まれた小さな鳥居、または竹垣に囲まれた神社
籠目の形(六角形または五芒星)に結んで出来た図形の中心に存在する物。
籠女(妊婦)の中にいるもの、つまり胎児。
「とり」
トリをとる人。祭り等で、最後の締めをやる人。
籠目の中に鳥に関連する絵が描かれた紋章、
「二重亀甲違い鷹の羽」「亀甲に違い鷹の羽」「亀甲に鶴の丸」等
「いついつでやる」
「何時になったら出会うの?/出て来るの?/出て行くの?/出て行けるの?/”それ”が出現するか?
「よあけのばんに」
「夜明けの晩に」
真夜中過ぎ
夜明けから晩に至るまでという時間の経過
夜明けとも言える晩=午前4時前後の時間帯
夜明けの晩という「存在しない時間」のこと。
「夜明けの番人」 早朝に鳴く鶏のこと。
「夜明けの晩」光を見る前=臨月
「夜明けの晩」「夜明け」の「晩=終り」>「夜が明ける終りの部分」=「日の出=日光を見る」
から、日光東照宮の方向を見ること。
「朝」と「晩(夜)」、対称的な物事の象徴を指している
「つるとかめがすべった」
「鶴と亀が滑った」縁起の良い象徴の2つが滑る=吉兆(または凶兆)を表す。
「鶴と亀が統べた」鶴および亀に象徴される為政者(または建造物)を表す。
「鶴と亀が統べった」鶴および亀に象徴される為政者が、「統治した」と「滑った」を掛けた。
京都に伝わる童謡の歌詞「つるつる つっぱいた」が変化したもので、
「ずるずると引っ張った」という意味。
清元節の浄瑠璃「月花茲友鳥」より、「つるつるつるつっぱいた」が変化した
「するすると突っ込んで入っていった」という意味。
「鶴と亀が滑った」長寿の象徴である2つが滑ることで、死を表している。
敦賀と亀岡を統べる=両方を統治した明智光秀を指す。
日光東照宮御宝塔(御墓所)の真前に置かれている「鶴(飛ぶ=天)」と「亀(泳ぐ=海)」のこと。
徳川家康の側近つまり天海が「統治する(陰で操る)」という意味。
「天の象徴」と「地上の象徴」が滑る=対称性が崩れる/破れることを指している。
「うしろのしょうめん だあれ」
鬼の背面:真後ろを表し、「真後ろにいるのは誰?」と問うている。
「後ろを向いた時に正面に居る人は誰?」転じて、逆の存在・影の指揮者・取り憑いていた
存在等を表す。
「表」と「裏」といった対称的な物事を例えている
江戸時代、京都で「正面」とは方広寺大仏殿を指し、その後ろに葬られた豊臣秀吉のこと。
斬首された首が転がって、体は正面,首が後ろを向いて、「私を殺したのは誰?」と問うている。
または、死んだことに気付かず目の前の首がない体は誰のものだろうと疑問に思っている様子。
明智光秀の出身地(岐阜県可児市)から日光(日光東照宮)の方向を向くと、
「後ろの正面」はちょうど、日本で唯一、明智光秀の肖像画を所蔵している
本徳寺がある大阪府岸和田市(貝塚市)になる。
この「しょうめん」の部分の歌詞は、一部の地域では「少年」とする場合もある。
歌全体の解釈歌詞に鶴と亀が入ったのが明治期以降
「後ろの正面だぁれ」は明治末期以降にはいった歌詞なので、
それを考えると成立しない説も多い。1 その歌詞の多義性、論理のおかしさ、普通ではなく合理的でない所が、
人間の類推の能力に働きかけ、聞く人を楽しませる、面白味のある言葉遊びの歌として
日本中に流行したとする説。
2 元々児童遊戯の歌として成立したとする説(国語辞典などが採用)
3 遊女説(提唱者不明)
一日中(夜明けの晩に)男性の相手をさせられ(鶴と亀が滑った)、
いつここから抜け出せるのだろう(いついつ出やる)と嘆いているうちにもう
次の相手の顔(後ろの正面だあれ)が見え隠れしている、という自由のない遊女
(籠の中の鳥)の悲哀を表している。
4 日光東照宮説/徳川埋蔵金説(提唱者不明)
日光東照宮の三神庫と呼ばれる建築物群や奥院には鶴と亀が対になって飾られている。
籠目模様の形に家康のゆかりの神社などを線で引くと隠し場所が分かる。
徳川家康のお墓があり鶴と亀の銅像のある日光東照宮が朝日に照らされた影が差す方向
ではないかと言われています。
5 豊國廟説(宮本健次など)
正面とは京都の豊国神社周辺(現在の正面通り)を指し、徳川家康を神格化する際に
邪魔となった豊臣秀吉を神の座から引き摺り降ろす為に行われた、豊国神社の打ち壊しと、
秀吉の棺を掘り返して庶民と同じ屈葬にして埋め直した事件を表したものである。
6 芦名埋蔵金説(提唱者不明)
会津を支配していた大名の芦名義広が伊達政宗との戦いに敗れ逃げる際、
身軽になるためお宝を埋めたとされている芦名埋蔵金のことを歌っている。
芦名氏が築城した会津黒川城(現在の会津会津城)は別名、鶴ヶ城と呼ばれた。
同族猪苗代氏の猪苗代城が別名、亀ヶ城。
7 明智光秀・南光坊天海同一人物説
天海は日光東照宮を作る際の総責任者。日光東照宮には鶴と亀の銅像がある。
光秀は福井県の敦賀と京都の亀岡を統治していた。
光秀の出身地の岐阜に立ち、日光の方向を見た後ろは大阪府岸和田市の本徳寺になり、
そこには光秀の肖像画が置いてある唯一の寺。
8 彌久賀神社説(提唱者不明)
出雲の「彌久賀神社」を示している。「二重亀甲違い鷹の羽」の家紋及び神紋のこの神社は
宇宙最初期に現れた創成神だとされる「アメノミナカヌシ」を古くから主祭神として祀る
珍しい神社。
9 陰謀説(提唱者不明)
籠女と書いてお腹に籠を抱いているような女=妊婦を示し、
「かごの中の鳥」とはお腹の中にいる子供を示す。
出産予定日もそろそろというある夜明けの晩、階段を降りようとした妊婦は
誰かに背中を押されて落ちて流産してしまった。
自分を落とし子供を殺したのは誰だという母親の恨みの歌という説。
10 囚人説(提唱者不明)
かごめは、籠=牢屋を指していて、籠の中の鳥=は囚人。
鶴と亀が滑った=縁起の良くないこと、>脱走や死刑。
後ろの正面だあれ=死刑囚を呼びにきた監視、又は脱獄の手助けをする者。
11 神示説(提唱者不明)
「かごの中の鳥」は「肉体に自己同化し、肉体に閉じ込められた人」、
「いついつ出やる」は「いつになったら肉体が自分でないことに気づくのか」、
「鶴と亀がすべった」は「陰と陽が統べった」即ち「目覚めた」ときに、
「うしろの正面だあれ?」=「自分」とは誰なのでしょう?という意味の、
人の精神的目覚め・開悟を歌っているとする説。
12 天の岩戸説
天の岩戸に閉じ込められた神(天照主日大御神)を岩戸より出てきていただくこと
を願う歌。
12 ヘブライ語説 詳しくは後述
歌詞がヘブライ語であるという説。日ユ同祖論などで論じられる場合もある。
その他
13 口減らしの儀式・人身御供説
真ん中の鬼は神様からお告げを受け、生け贄の候補者は周りをクルクル回り、
当たった人が生け贄になった。
14 降霊術・口寄せ説
真ん中に人を置き周りをグルグル回ることにより真ん中の人に霊を降ろす降霊術・口寄せ説。
真ん中の人は霊の代わりに語る。昔の地蔵遊びが原形?
15 呪術説
誰かの不幸を願っている。前日の悪いことを終わらしてくれるはずの
夜明けがきても、まだ悪いことが続いて欲しい。
16 影の支配者を当てる遊戯説
「うしろの正面」というフレーズのイメージから
17 いじめ説 いつまでも続くいじめを歌った。
個人的には2または1でしょうか。その次に3の遊女説を推します
出展
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8B%E3%81%94%E3%82%81%E3%81%8B%E3%81%94%E3%82%81など
かごめかごめヘブライ語説ただし、かごめの歌は文献には江戸時代中期以降にしか記録されていません。
さらに『後ろの正面』や『鶴と亀』『滑った』などの歌詞が、明治以降の文献でしか
確認されていません。ヘブライ語起源であれば、もっと古い文献がありそうなんですが?
ヘブライ語はイスラエルの言葉です。
「かごめ」
「かご」=(khagor、カゴー)=「囲む」+(mi、ミー)=「誰」、「何」
(khagormi、カゴーミー)=何か大切なものを確保し、それを取り囲んで守ること
「籠の中の鳥は」
「かご・の・なか・の」
「かごの」
(khagor、カゴー)=「囲む」+(na、ナ)=願いや嘆願の気持ち
Khagorna、カゴ-ナ=「囲ってください」「取り囲んでください」と願い求める
「なかの」
(nakh、ナカ)=「休む」、「安らぐ」+(na、ナ)=願いを込める
(nakana、ナカナ)=「休んでください!」、「安らぎを」。
「カゴーナ・ナカナ」が訛って「かごのなかの」に。
意味は「取り囲んで休んでください!」>「しっかりとガードして安置せよ!」
「鳥は」
(torid、トリー) 「取り外せ!」+(va、ヴァ)=「そして」
強い命令形、何か高い所にあるものを外す、あるいは下ろせの意。
「籠の中の鳥は」=「かごーな・なかな・とりー・う゛ぁ」
「取り囲んで安置する物を取り出せ!」>「封じて守るものを取り出せ!」
「いついつでやる 夜明けの」
「いついつ」
(hitsit、ヒィツィ) =「燃やせ」 繰り返しているので、燃やし尽くせ
「出会う夜明け」=「であう・よ・あけ」
(diyur、ディユゥー)=収納庫、容器、家+(ya、ヤ)=神を意味する
「ディユゥー・ヤ―」=「神の箱」=「神の社」
(akar、アカー) =「根絶する」、「取り除く」
「であうよあけ」=「神の箱を根絶する」、「神の社を取り除く」
「いついつでやる」=「ヒィツィ・ヒィツィ・ディユゥー・ヤ・アカー」
=「火をつけて、燃やし尽くせせ、神の社を根絶せよ!」
「晩に鶴と亀がすべった」
ばんに (banahti、バナティ)=「造られた」
つ (tsur、ツ) =岩
かめ (kamea、カメア)=お守り
「ばんに・つると・かめ」=「お守りの岩が造られた」
「すべった」(shovetet、ショーヴェッテ)=「働きをやめた」、「ストライキ」
「鶴と亀が滑った」=「お守りの岩は働きをやめ」or「お守りの岩は功を奏さず」
後ろの正面だぁれ
(hushar、フーシャー)=「見捨てられる」「放置される」
(Shomem、ショーメム) =人の住まない僻地や荒地
(dalak、ダラッ)=「焼かれた」
「後ろの正面、だーれ」=「焼かれた荒地は見放された」
全文を通して
神宝が秘蔵されていた場所から取り出された後、
その地域を守るために造られた岩のお守りも功を奏さず、
周辺一帯に火が付けられて、すべてが燃え尽き、その後、
焼け野原はそのまま放置された。
ヘブライ語には同等の発音でもうひとつ、全く別の意味を持つ読み方があり
この他にも色々な解釈がある
出展
https://www.historyjp.com/article/462/しかし ヘブライ語のネイティブの方や、日本の数少ないヘブライ語研究者によれば、
これらは、ただ単語を並べただけで、文法的にめちゃくちゃで意味が通じないという。
ヘブライ語は一つの単語が色々に変化する。数十種類の変化をする単語もあり
それだけあれば、偶然に日本語に語感のにているものも出てくるだろうとのこと。
そもそも現在の歌詞になったのは、明治期以降の様で、
それ以前は「後ろの正面だぁれ」「鶴と亀」の歌詞は無かったのですから。
それらをもこじつけている、がこめヘブライ語説は破綻していると思います。
おまけ
最近トマト不足で値上げラッシュの
トマトケチャップで有名な日本の食品・調味料メーカーの
カゴメ株式会社(創業 1899年:明治32年 設立1949年:昭和24年)は、
童歌のカゴメとは無関係です。
創業者の蟹江氏が大日本帝国陸軍を現役除隊する際に(明治時代の話です)、
上官から「農業をやるなら、洋野菜をやりなさい」と助言を受けて、これが当時
まだ珍しかったトマト作りを開始するきっかけになった。
その恩を忘れないために、当時の陸軍の象徴である五芒星を商標として使おうとしたが、
許可されなかった。六角の星に改変したが、これも「星型は認められない」
と却下された。そこで、三角形を二つ組み合わせ六芒星にすると、これが収穫時に
使う籠を編んだときの目(籠目)印であるということでやっと商標が認められた。
1963年4月には、社名をカゴメとし、商標は籠目のついたトマトマークとなった。
1983年4月に現在のロゴが制定され、商標から籠目とトマトマークは姿を消した。
2003年4月からのロゴにはトマトが描かれている。
なお私は理系ですw