1.はじめに
ファイナルファンタジーXIVの各シナリオは、現実に起きている出来事や問題を反映しているものが多く、筆者はそれを大変興味深くプレイしている。某掲示板などでは、シナリオに対する批判も少なくないが、それは、プレイヤーが、物語を完全な「ファンタジー」としては処理しきれない感覚を覚えるからではないだろうか。
筆者は、この一か月、パッチ4.0「紅蓮の解放者」の舞台がアラミゴであり、モンクのジョブクエストが、ストーリー理解において重要になるだろうと考え(というのは嘘であって、PvPでのモンクがかっこいいので)、モンクのレベル上げを行った。この内容が非常に興味深いものであり、パッチ4.0における展開を期待させるものであったため、ここで若干の考察を加えておきたいと思う。(ファンタジーとして満喫したいプレイヤーの方々は、ここで読むのを止めることを薦める。そして、これはあくまでも「ネタ」だということを理解したうえで読み進めていただければと思う。)
論点は、「古戦場のエーテリック解析に基づく、戦史の再構築」の著者であるエリック博士(以下、エリック)の研究者としての姿勢と、「過去と未来」をめぐる思想の2点である。
まず、エリックは以下のように述べている。
「戦場は、吟遊詩人の英雄譚の中にあるのではなく、この足元に存在し、吾輩の研究対象となることを待っている。そんな歴史の囁きを聞き、それを斬新かつ革新的に、解釈することこそ吾輩の使命なのだ!」(エリック)
歴史を、上からの、大きな物語としてではなく、「足元」、すなわち「エーテル」として現世に残留している死者の「語り」として描き出すということだろう。筆者はエリックのこうした研究姿勢に基本的に賛同する(自らの足で調査を行おうとしないことはさておき)。しかし同時に、「解釈」という言葉に若干の危うさを感じたのだが、結論から言えば、それは決して杞憂ではなかった。
2.研究姿勢に対する批判
このストーリーには、ウィダルゲルトというもうひとりの重要人物が登場する。彼は、「アラミゴ解放軍」という抵抗組織の一員であり、また、「ラールガー星導教」の信者である。彼は、「チャクラ」を開くために古戦場に関する知識を収集している。エリックとは、アラミゴ出身者、すなわち「ガレマール帝国」からの迫害と抑圧を受ける立場にあるという点で共通している。また、目的は違うが、古戦場に学ぶことについて、利害が一致しているため、協力関係にある。
両者の関係を捉える上で重要なのは、「エーテル」をめぐる理解の不一致である。ウィダルゲルトは「ラールガー星導教」の考えに基づき、これを「チャクラ」として理解している。それに対し、エリックは「第七のチャクラ」に「知的好奇心」を覚えながらも、こうした理解を「非科学的」であると批判している。
これは研究者の姿勢としては不適当である。研究者たるもの、いかなる文脈で「ラールガー星導教」信者がこれを「チャクラ」と呼ぶのかを「理解」することに努めるべきである。エリックは「超自然科学者」を自称しているため、こうした方法論に関する知識が乏しいのかもしれないが、それならば、「チャクラ」という理解に対して不当に介入すべきではない(註1)。それは研究者に求められた役割ではないからだ。
彼のこうした姿勢は、歴史を「足元」から見る、という自らの発言と矛盾している。そして、こうした介入が、無意識のうちにウィダルゲルトに戦争を引き起こしかねない「力」(=第七のチャクラ)を与えてしまうという結果を導き出したことは言うまでもない。
制作者がなぜ、エリックを研究者という設定にしたのかはよくわからないが、こんなやつに研究者を名乗る資格はないということをまずははっきり述べておきたいと思う。
3.過去と未来
次に着目したいのは、以下の発言である。
「革命だ反乱だと、生産性のないことばかりを言っているが、君の口からも「人はもっと未来に生きるべきだ」と、伝えてほしい。」(エリック)
「力を担う者は、偉大な世界と同じ規模の、重責を果たさねばならん!!君がここ「内地」で学ぶべきは、消え去りゆく過去ではなく未来だ!どこを目指して、未来を切り開く「力」を使うべきか学ぶのだ!」(エリック)
これはプレイヤーあるいはウィダルゲルト個人に向けられた語りであるため、研究者としてではなく、あくまでも一個人の思想として批評する。冒頭に引用した言葉のなかで、彼は「歴史の囁き」を聞くことの必要性に触れている。それにもかかわらず、ここでは過去は消え去りゆくものであり、未来を考えることの重要性が語られている。ここにはエリックの姿勢が孕んだ矛盾がみてとれる。
では、ここでいう、消え去りゆく過去とは何か。それはアラミゴの経験である。以下にウィダルゲルトの語りを引用しよう。
「内地」に住む人々は、知ろうとしない。
アラミゴの民が、いかに彼らを守ろうとしてきたか……。
外敵への盾となり、その血を流してきたか……。
「内地」に住む人々には、想像できないだろう!
自分たちの盾となっていたアラミゴの民が、
帝国の占領下におかれた後、どんな暮らしをしているか!
(ウィダルゲルト)
まさにかれらが直面する現実に即した、切実な言葉である。たしかにウィダルゲルトは、アラミゴの民の「誇り」を本質化(註2)しており、特定の人々の経験を一般化して論じてしまっている。しかし、エリックはこれに対して、たとえ「湯のようなスープを分け合う兄弟」や「死人を抱いて助けを求める女性」の前でも、未来を語らなければならないと語る。これは少なくないアラミゴの民が直面する「現実」を無化する発言であり、「現実」を乗り越えたいという人々の願いに蓋をする、暴力的なものであると言わざるをえない。
昨今、現実世界においても、テロリズムが問題になっている。筆者も第三世界の人々が暴力を手段として用いることに諸手を挙げて賛同するわけではない。しかし他方で、テロの対象となっている第一世界の住人たちは、テロリズムを生み出した歴史的背景やかれらが直面する現実を理解しようともせず、表面的な暴力性だけを批判対象とする。その背景にあるのは、安易な未来志向である。シナリオライターはおそらく、エリックを通して「安易な未来志向」(註3)を、ウィダルゲルトを通して「被抑圧者の切実な現実が生んだ暴力」を描こうとしたのだろう。ここにはまさに、現実世界が直面する「ジレンマ」が投影されているのである。
4.おわりに
ウィダルゲルトはレベル50クエストの時点では、エリックが言う「平和」の「本当の意味」は理解できないと語った。もしウィダルゲルトが「博士の言う通りだ…」と語ったら、私はキーボードを投げ飛ばしてレベリングを放棄したであろう。エリックが研究者という立場に甘んじることなく、ウィダルゲルトの言葉に耳を傾けたとき、そこに「解放」の萌芽がみえてくるのではないかと思う。
いずれにせよ、両者の対立は、「帝国」による暴力に起因したものであるということは言うまでもない。パッチ4.0「紅蓮の解放者」では、その帝国主義がどのように描かれ、またそれに対する「解放」のあり方がどのようなものになるのかに注目したい。また、主人公の立場性がどのように描かれるのかも気になる。主人公は冒険者であり、その出自はよくわからない。そのような「部外者」が、「当事者」たちのストーリーにどのように関与していくのだろうか。
追記
最後に、論文書くのに疲れたからといって、小一時間ほどかけてこの文章を書いた自分を、
恥じる。
註1 また、彼は「ラールガー星導教」について、「選ばれた者にのみ扱えると、選民思想のように名称を詐称しておるのだ」、「これぞ宗教の本質」とまで述べている。ここでも彼が、研究者としての役割を越え、他者に評価を下す様子がみてとれる。
註2 本来、アラミゴの民すべてが共有しているはずもない「誇り」なるものを、共有しているかのように語ること。
註3 ただし、エリックが第三世界出身の「内地」在住者であるという点には注意を払う必要がある。エピソードは描かれていないが、彼が被抑圧民として第一世界で何を経験し、なぜ「未来志向」を語るのかは、気になるところである。
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